平素よりお世話になっております。
昨年度、渉外を務めさせていただきました佐藤新です。
まず初めに、昨年一年を通じて、多大なるご支援とご指導を賜りました吉田監督、大庭総監督、波田OB会長、近藤コーチ、駿台セーリングクラブ、父母会の皆様に心より感謝申し上げます。
昨年度は「貫徹」という代方針を掲げ、一年間活動して参りました。結果はスナイプ級が関東10位、470級は全日本10位と目標とした全日本総合優勝からは全く手の届かない結果になりました。
支えてくださった方には、結果でお返しすることができず大変申し訳ございません。
私自身この4年間を振り返ると、本当に多くのことを経験させていただきました。
入部したての頃は、右も左も分からない中、ただ練習というよりも全く新鮮な合宿生活を満喫しておりました。下級生の仕事もしないような私に転機が訪れたのは2年生の夏でした。
当時主将であった二木先輩をクルーとしてスキッパーをさせていただくチャンスを得ました。
元々クルーをしていた私は、クローズホールドもまともに帆走できない私に上級生クルーが乗ってくださり、陸での整備から海での知識などセーリングの基礎となることを全て教えていただきました。
そして二木先輩は私に夏合宿週7出艇計画を持ちかけてくださり、夏休み週6日練習をし、1日オフの午前中に1艇で練習をし、午後にはバイトに行き、その夜には集合するという過密なスケジュールで練習をしました。
オフの1日の自主練習では、早稲田の練習に混ぜていただき、圧倒的なスター軍団を前に恥ずかしい走りをしたことも覚えています。
ですが、夏合宿後半には、この成果は合同練習で発揮され、当時スターだった他大学の先輩よりも前で一回フィニッシュをし、二木先輩と喜んだのも鮮明に記憶しています。
また二木先輩には厳しさも教えていただきました。
明治内や他大学との合同練習において、前を走れなくても『まぁしょうがない』と考えてしまう私に、一個でも順位をあげること、負けに慣れないことの重要性を教えていただきました。
いつかの強風が吹いた江ノ島スナイプでは最終レース恒例の3上フィニッシュの後、全く順位がよくない状況に、帰りのハーバーバックまで本気で練習しないと上手くならないと言って、レース以上に赤灯台までハイクアウトをした(させられた)ことも覚えています。本当に今ではいい思い出です。
ここまで二木先輩に対する感謝の言葉のようなものになってしまいましたが、本当に私のセーリングの基礎を作ってくださった大切な先輩です。
そして3年生になってからは古野先輩と組ませていただきました。
古野先輩は元々スキッパーをやっていてコース引きに自信を持っており、主にコースについて学ばせていただきました。
古野先輩と本気で目指した全日本個人戦も私の中ではいい思い出です。
1レース目、下1スタートを決めたにも関わらずマークを見ておらず、オーバーセールをしてしまい最下位近くになったことや、1レースシングルを取れたことは私の中でヨットを走らせる感覚がようやく身についてきたと感じる瞬間でした。
そして3年生の後期には同期の河野と乗らせてもらいました。
河野は1年生の頃から池田先輩などに乗せてもらい経験を積んでいる頼もしいクルーでした。
同期と乗るのは初めてで、今まで先輩と乗っていた分、自分たちのやってきたことが間違っていなかったか初めて試せるような気持ちでした。
河野との思い出は何といっても秋の六大学戦です。
北風の強風が吹く中081で1日目(10-9-4)と明治内でも1番の成績を取ったことで強風に対する自信も感じたところで4レース目に沈してしまい、とても悔しい気持ちになったのを今でも覚えています。
こうして、関東インカレ、全日本インカレのメンバー決めに落ち、和歌山インカレも私は出ないと呑気に思っていた時に突然出番が来ました。
岡本先輩の船のサイドステーが飛び帆走不可能になり、急いでハーバーに戻り河野と古澤と3人で艤装をして曳航をし、奇跡的にAP旗などが重なり、次のレースに間に合うという最高のチームワークを見せました。(普段、このチームワークは良くないことに使われるのですが。)
こうして私は全日本インカレを突如として経験し、72艇のビックレガッタ、他大学との本気のぶつかり合いに圧倒されました。
また初の審問もかけられて、震えながら審問に向かったのも本当にいい経験になりました。
四年生になってからは古澤、伊藤と組みました。
自分達の戦い方は、自分達が有利だと思ったサイド(基本下スタしかしなかったです。)から絶対にピン出て、他艇よりも圧倒的な上り角度で走ることでした。
この戦い方を続け、合同練習でもようやく下級生の頃はスーパースター軍団だと思っていた早慶日大とも互角に戦えているような気がしました。(自分達だけかもしれませんが)
先日行われた秋の六代学戦は人生で1番走ったレガッタになりました。個人成績が10位
2日目成績だけで見ると2-2-17-4と軽風域では圧倒的に他大学よりも早かったです。
これは4年間で、胸を張って言えます。軽風域は任せてくださいと。
ですが関東インカレ決勝。例年通り北風強風が吹きました。
今まで軽風域に自信を持ち、強風域は耐えるということを考えていましたが、これは全く持って通用しなかったです。
とここまでは4年間の思い出を振り返らせていただきましたが、そのどれもが濃密で、かけがえのないものでした。
私は本当にクルーや周りの方に恵まれ、助けてもらいました。一緒に乗ってくださった方々、たくさんの経験をさせてくれて、ありがとうございました。
ここからは、これから次の全日本に向けて頑張る後輩たちに向けて書こうと思います。
『苦手なこと・嫌な事から逃げないこと。』
『絶対に拘ること。』
この二点です。
一つ目の苦手なこと・嫌なことから逃げないことですが、まず、例年、4年生が引退すると同時に1年生も何人か辞めてしまう風潮があります。
ヨットは辛いです、冬は寒いし夏は暑い。
風は強いとキツイし弱くてもキツイ。
何もかもが大変ですが、上に書いたように、4年間たくさんの経験をして自分を成長させてくれます。
周りにサポートしてくれる監督、コーチ陣や先輩、同期、後輩、マネージャーがいます。皆を頼って4年間必死に頑張って欲しいと思います。
また、苦手なことから逃げないこと。
これは先程書きましたが、古澤と軽風域に自信を持ち、強風域に不安要素を残したままインカレを迎えてしまいました。
これでは当然勝てません。不安要素が一つでもあれば走りません。それは結果が証明しました。
どうにかなるかもは絶対にどうにもなりません。
後悔をしてからでは、遅いです。本当に一日一日の練習を大切にして欲しいと思います。
二つ目に、『絶対に拘る事』です。
拘ることで言えば私は、勝ちにこだわりました。
後輩のみんななら知ってるかと思いますが、私は海上でクルーと言い合いをしてたり、形としては良くないかもしれませんが、怒鳴ったりしていました。
このような本気のぶつかり合いを仲間とすることで、私は些細な練習でも絶対に後輩に抜かされないこと、絶対にいい順位で帰ってくることに拘りました。
また自分なりの艤装の拘りや、船の置き方一つこだわっていました。そのおかげで艇トラブルは一切起きなかったです。
だから、皆んなにも、何か自分が納得できる形で拘り続けて欲しいと思います。
それがいつか自分のセーリングの上達に繋がると思いますし、私はそう感じました。
とここまで長々と自由に、4年間の思い出や後輩に伝えたいことを書かせていただきました。
私自身、この代で結果を出せなかった以上、後輩へのサポートを全力で行い、微力ながら部への恩返しをさせていただこうと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。
最後に、これまで4年間ご声援いただいた、両親、保護者の方々、監督、コーチ、OB、OG、関係者の皆様に改めて感謝申し上げます。今後は応援していただく側から、応援する側に変わります。皆様とヨット部をより一層盛り上げていけたらと考えております。
今後とも変わらぬ、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。
4年間ご声援いただき、本当にありがとうございました。
2022年度 明治大学体育会ヨット部渉外 佐藤新