2020年4月17日金曜日

【フリーブログ】ひとりごと

こんにちは。経営学部会計学科4年の武井翔太朗です。
コロナウイルスの影響で人と会って喋ることができず、適当な理由をつけていろんな人に電話したり、LINEを送ったりしています。僕の面倒くさい絡みに付き合ってくれる方々、一応申し訳ないと思っています。そして、ありがとうございます。

この直接人に会えない状況が続く中で自分は、このヨット競技を通じて出会った人って死ぬまで忘れないんだろうな、と改めて思います。なので、僕のヨットの土台を作ってもらった人たちについて書こうと思います。

まずは中学1年生の頃に同じクラスになったヨットバカ(当時ガラケーのメールアドレスがyacht-ganbaruzoとかでした頭おかしいと思います。)についてです。高校ヨット部3年生のときペアを組んでいて、乗り始めは仲良くやっていたと思います。でもちょっとしたら本人の前で「お前とは乗れない。」って言うぐらい仲が悪くなっていました。確かインターハイ出場をかけた関東大会の前でした。大切な大会の前にペアとして最悪の空気でした。
でも今になって考えれば、ヨットに乗っている間は本当に負けたくなかったって思っていることに気が付かされます。本気でペアとぶつかりながら勝ったときテンションを上げまくって、負けたときは喧嘩してるみたいなヨットがとても楽しかったです。

大学に入っても同じようにヨットをやるつもりでした。ただ、自分の考えは本当に甘かったと思い知らされました。そもそも実力が全く足りないうえに、乗るのはヨットを始めたての一般生。それはそれで楽しいとは思っていましたが、自信はなくなるし、どうやったら大学のヨットで勝てるかわからなくなっていきました。でも、明治大学に入って大げさかもしれませんが、僕が勝手に師匠って思っている先輩が二人ほどできました。
一人は1年生のとき秋の六大学戦にクルーとして乗っていただきました。ひたすらもっと頑張れって言われた記憶しかないです。あのときのサイドジャイブでの大失敗は今でも忘れません。
でもおかげさまで、無我夢中で頑張り続けるという僕のヨットの型ができたと思っています。本当にありがとうございます。

もう一人の先輩は、僕が入部したときに感じた印象は平気で場の動きを乱すただただ意味のわからない人でした。しかし、同じ活動をしていくうちに、その先輩の執念というかこだわりの強さを感じるようになりました。なにより自分の要求と結果までをセットにしていて今までに会ったことがないタイプの人でした。
やっぱり話を聞くとシンプルに深く考えている気がするんです。「シンプルに深く」って言葉としては矛盾しているんですが、このような印象を僕は持ちました。考え方を真似することは難しいんですけど、間違いなくこの競技って考える人が速くなっていくんだなって思い知り、考えてヨットに乗るようになったと感じます。

ここにあげた人は本当に僕のヨット人生の中でも一部の人で、他にも、両親や祖父母や顧問の先生、いままで同じ部活でやってきた同期、先輩、後輩などいろいろな人が僕のヨットを作ってきてくれました。

長すぎて自分でも何が言いたいのかよくわからなくなってきています。笑
ただ少なくとも思うのは、ヨットだけじゃなくヨットから離れればもっとたくさん自分を構成してくれている人っていると思うし、なによりこのように自分を変えてくれる人に会えてよかったなって感じています。
ここで感謝したからいままで以上に応援されたり、されなくなったりしないとは思いますが、こんな人と会えない時期だからこそ人との繋がりの大切さが認識できるいい機会だなって思っています。
こうやって支えてきてくれた仲間にいい結果が報告できるように日々の努力を欠かさないようにしたいです。